シモン・ボッカネグラ プロローグ
「引き裂かれた父の心は」はフィエスコのアリアです。
もともと貴族と平民の対立があり、平民のシモンと貴族フィエスコの娘マリアとの結婚は、父のフィエスコには許せないことでした。フィエスコは自ら娘を幽閉し、その結果、娘は亡くなってしまいます。
「引き裂かれた父の心は」Il lacerato spirito【歌詞と対訳】
A te l’estremo addio, palagio altero,
Freddo sepolcro dell’angiolo mio!…
Né a proteggerti io valsi!… Oh maledetto!…
O vile seduttore.
E tu, Vergin, soffristi
Rapita a lei la verginal corona?…
Ma che dissi!… deliro!… ah mi perdona!
最後のお別れだ、誇り高き宮殿よ
私の天使の冷たい墓!…
私はお前を守ることができなかった!…おお、忌々しい!…
おお、卑劣な誘惑者め
そして、聖母マリアよ、苦しまれたのですか
彼女(娘)から処女の冠が奪われたことに?…
いや、何を言ったのだ!…正気ではない!…お許しください!
Il lacerato spirito
Del mesto genitore
Era serbato a strazio
D’infamia e di dolore.
Il serto a lei de’ martiri
Pietoso il cielo diè…
Resa al fulgor degli angeli,
Prega, Maria., per me.
引き裂かれた心は
悲しい親の
苦しみ続けている
辱めと悲しみで
彼女(娘)に殉教者の冠を
慈悲深い天は与えました…
天使たちの輝きに身をゆだねて、
祈ってくれ、マリア、私のために
【解説】実在の「シモン・ボッカネグラ」の生涯とは
「シモン・ボッカネグラ」の時代背景にある、14世紀半ばのジェノヴァ共和国は、貴族同士で対立。さらに貴族と平民の対立という、ほぼ内乱状態でした。
貴族同士の対立
ゲルフ・教皇派
(グリマルディ家・フィエスキ家)
対
ギベリン・皇帝派
(スピノーラ家・ドーリア家)
シモンは、政治の舵取りが難しい時期に総督に選ばれたのです。シモン・ボッカネグラは、実在の人物であり、オペラと同じように(オペラは水、実際はワイン)毒殺されています。
1339年 選挙により、総督に選ばれる
1344年 貴族派の陰謀で、失脚
1356年 総督に復帰
1363年 貴族派により、ワインで毒殺